大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和52年(ワ)1299号 判決

原告

相原チヨ子

外七名

右原告ら訴訟代理人

青木勝治

被告

森トフ

外五名

右被告ら訴訟代理人

清水沖次郎

被告

横浜市

右代表者市長

細郷道一

右訴訟代理人

横山秀雄

主文

一  被告森トラ、同森貴子、同森強三、同森伸行、同伊藤初美、同森行男は横浜市戸塚区新橋町字矢倉下一一三三番地先を起点とし、同所一一三六番地先を終点とする道路上の別紙図面記載の①からまでの各点に設置された別紙物件目録記載(一)のコンクリート製柱並びにこれらの柱に張り渡された鉄線及び有刺鉄線を収去せよ。

二  右被告らは各自原告らに対し金二〇万円及びこれに対する昭和五二年八月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの右被告らに対する将来の損害賠償請求(請求の趣旨第三項)にかかる訴えを却下する。

四  原告らの右被告らに対するその余の請求並びに被告横浜市に対する請求を棄却する。

五  訴訟費用中原告らと被告横浜市との間に生じた分は原告らの負担とし、その余の被告らとの間に生じた分はこれを五分し、その二を同被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

六  この判決は第一、第二項に限り仮に執行できる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告森トラ、同森貴子、同森強三、同森伸行、同伊藤初美、同森行男(以下「被告森ら」という)は横浜市戸塚区新橋町字矢倉下一一三二番の土地の北側別紙図面中のからまでの各点を順次直線で結んで得られる線を一方の境界線とし、同図面中からまでの各点を順次直線で結んで得られる線をもう一方の境界線とする二つの境界線間の道路上に設置した別紙物件目録記載(一)のコンクリート製柱(以下「本件コンクリート柱」という)及び同目録記載(二)の樹木(以下「本件樹木」という)による垣根を収去せよ。

2  被告らは原告らに対し、各自金二九〇万円及び内金二二〇万円に対する昭和五二年八月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告らは原告らに対し、昭和六〇年以降第1項の垣根の収去ずみに至るまで毎年八月六日限り年額金一〇万円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  第1、第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  横浜市戸塚区新橋町字矢倉下一一三三番地(以下地番のみで表示する。他の土地についても同じ)先を起点とし、一一三六番地先を終点とする道路は国有地で被告横浜市(以下「被告市」という)が管理する幅員九尺(2.7メートル)の公道である(以下右道路を「本件市道」という)。

2  相原七五郎(以下「七五郎」という)は本件市道の南方先端(本件市道の行止り)に存在する一一一五番一、一一一七番一及び一一三六番一の各土地(以下「本件各土地」という)を所有していたが、本訴提起後の昭和五五年九月二九日死亡し、原告らが相続によりその所有権を取得した。本件市道は本件各土地への唯一の通路である。

3  本件市道の範囲と境界線は別紙図面記載のとおりであるが、森奥三郎(以下「奥三郎」という)は昭和三六、七年頃、別紙図面記載の①からの各点に本件コンクリート柱を設置し、これに鉄線及び有刺鉄線(以下「有刺鉄線等」という)を張り、本件樹木を植えるなどして本件市道上に垣根をつくり、もつて本件市道の通行・共用を妨害していたが、奥三郎は本訴提起後の昭和五九年四月二〇日死亡し、右各物件の所有権を被告森らが相続により取得した。

4  本件垣根の存在は原告らの有する公道通行の自由権に対する侵害であり、被告森らは右妨害物を除去する義務がある。

また奥三郎及びその承継人である被告森らは右妨害物の設置及び維持によつて七五郎及びその承継人である原告らに生じた損害を賠償する義務がある。

5  被告市は本件市道の管理者としてこれを一般交通の便益に供するため道路本来の機能を発揮させるよう積極的に道路としての形態を整え、これを常に良好な状態に維持・管理する義務を負つているとともに一般交通の用に供するという道路の目的に対する妨げとなるような障害を除去或いは防止するなどの責任がある。

6  七五郎は、奥三郎が本件コンクリート柱及び本件樹木を設置した昭和三七年頃から被告市に対し、数十回に亘り、最近では昭和五二年三月三一日付内容証明郵便により、また同年四月八日口頭の申入により、本件市道の通行・共用妨害の除去、幅員2.7メートル確保の措置をとるよう行政権の発動を促したが、被告市の道路局管理部道路調査課長米倉文雄は七五郎に対し、市としては道路に隣接する土地所有者との間に合意が成立しない以上、市が一方的に境界を定めることはできない、市の態度に不満があれば訴えを起してくれなどと申述べて七五郎の申出を無視し管理義務を怠つた。右担当公務員の不作為の結果七五郎は後記7、8の損害を蒙つた。これは公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うにつき故意に他人に損害を与えたものといわなければならず、被告市は国家賠償法第一条第一項により七五郎に対し右損害を賠償する義務がある。

7  七五郎は本件各土地を耕作するため過去数十年に亘り肥料・苗・農具・農作物の運搬道路として本件市道を通行・利用してきた。しかし、奥三郎が本件市道上に本件コンクリート柱及び本件樹木を設置した後は本件市道を自由に通行できなくなり、農作物、肥料、農具等の運搬に無用の労力を要したほか、本件市道の幅員確保のための関係住民や被告市との交渉に多大な精神的苦痛を余儀なくされた。右苦痛を金銭に評価すると本訴を提起した昭和五二年までの分として金一五〇万円、昭和五三年以降本件口頭弁論終結時の昭和五九年までの分として年額金一〇万円合計金七〇万円が相当である。また、この損害は将来も本件が解決するまで年額金一〇万円の割合で発生する。

8  七五郎は本件市道の幅員を確保するためやむなく本訴訟を提起せざるをえなかつたのであり、弁護士青木勝治との間で金七〇万円の報酬支払契約を締結したので、七五郎を承継した原告らは同金額を損害として被告らに請求する。

よつて、原告らは被告森らに対し本件市道共用妨害排除請求権に基づき、本件市道上に設置した本件コンクリート柱及び本件樹木による垣根の収去を求め、被告らに対し共同不法行為に基づき各自金二九〇万円及び内金二二〇万円に対する訴状送達後である昭和五二年八月六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに昭和六〇年以降本件妨害の排除がなされるまで毎年八月六日限り年額金一〇万円の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告森ら

請求原因事実1のうち、本件市道が国の所有であり、被告市の管理する道路であることは認めるが、幅員が九尺あるとの点は否認する。

公図が作成された明治初期以来本件市道の幅員が九尺あつたとの事実はなく、右道路は先が行き止りで他の公道には通じていないので、かような場合は道路幅は六尺(1.8メートル)とみるのが社会通念である。また、被告市が本件市道を鎌倉市から引継いだ際幅員が九尺であつたとの確認を得ていない。

同2は認める。

同3のうち、本件市道の範囲に関する主張は否認する。奥三郎が別紙図面記載の①からの各点に本件コンクリート柱を設置し、これに有刺鉄線等を張り渡した垣根をつくつたことは認めるが、これをつくつたのは昭和三九年頃であり、本件樹木とともに被告森ら所有の一一三二番地内に存在するものである。また、原告らは本件市道の基点となる境界石について国に確認することなく、単に相原光雄(以下「光雄」という)所有のコンクリートブロックを基点としてそこから九尺幅が道路であると主張しているが、失当である。奥三郎が原告ら主張の日に死亡し、被告森らが相続したことは認める。

同4は争う。同6は知らない。同7は否認する。同8は知らない。

2  被告市

請求原因事実1は認める。

同2のうち、本件市道が一一三六番地一への通路となつていることは認め、その余は知らない。

同3のうち、奥三郎が本件コンクリート柱に有刺鉄線等を張つた垣根をつくつたことは認めるが、その余は知らない。

右物件の設置場所が本件市道上なのか、境界線上なのか、市道に近接した被告森ら所有地上なのか明らかでない。被告市としては本件市道の当該部分について隣接地所有者との協議がととのわないため、境界を確定できない状況にある。

同5は争う。同6のうち、昭和五二年三月三一日付内容証明郵便による通知、同年四月八日の口頭による申入があつたこと、米倉課長が、被告市としては、道路に隣接する土地所有者との間に合意が成立しない以上、市が一方的に境界を定めることはできない、と申述べたことは認め、その余は否認する。

なお、道路と隣接地の境界が明らかでないとき、これを明らかにする関係は被告市にとつて公権力の行使に関する事項ではない。

また、昭和三七年五月二一日奥三郎から水路払下げを受けるためとの理由で、本件市道につき境界査定の申請があつたので、被告市は同年六月七日現地で奥三郎のほか同人所有地の本件市道をはさんだ反対側の土地の所有者である光雄及び中丸定夫(以下「中丸」という)と協議をしたが、ととのわなかつたのである。

同7、8は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一1  請求原因事実1は被告市との間においては争いがない。

2  被告森らは本市道の幅員が九尺(2.7メートル)である事実を争うので検討する。

〈証拠〉によれば、公図上本件市道の幅員は九尺と記載されていることを認めることができる。

ところで、〈証拠〉によれば、公図は地租改正条例(明治六年七月二八日太政官布告二七二号)による地租改正事業の一環として作成された図面が基礎となつており、右図面の作成にあたつては、政府の一般方針として、先ず、検地のため人民から土地の地番、反別等を記載した地引絵図を差出させ、官吏が実地に臨み地主、村総代人等を立会わせ、地引絵図と照合して誤りのないことを確認したうえで完成されたものであり、その後更に、土地調査の正確を期するために、明治一八年「地押調査の件」、明治二〇年「地図更正の件」及び「町村地図調整及び更正手続」が発せられ、地図の縮尺、測量方法の統一により、補正されそれが現在法務局備付の公図となつたのであり、神奈川県においては、明治七年二月から明治一三年四月までの間地租改正が行われ、改租許可は耕地、市街地、市街、林野の三段階の作業を経て行われ、字限図及び全村図が作成されたことが認められる。

また、〈証拠〉によれば、昭和四七年に作成された横浜市道路調査課の道路台帳整理の基となる「横浜市道路認定調書」には、本件市道の幅員は2.7メートルと記載されていること、右調書の記載は、本件市道が神奈川県の管理下にあつた大正九年四月一日幅員が2.7メートルと認定され、これに基づいて昭和一四年四月一日に本件市道が被告市の管理へ移行後、なされたものであること、被告市が市道の境界調査の作業を行う時には、認定調書及び公図を参考資料として用いていることを認めることができる。

前記認定の経緯で作成された公図上の記載や被告市の公簿たる道路認定調書の記載に照らして本件市道の幅員は公図作成時以来九尺(2.7メートル)であつたと認めるのが相当であり、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

二請求原因事実2は被告森らとの間においては争いがなく、被告市との関係においても、本件市道が一一三六番地一への通路となつていることは争いがなく、その余の事実は〈証拠〉によりこれを認めることができる。

三次に、奥三郎が別紙図面記載の①からの各点に本件コンクリート柱を設置し、これに有刺鉄線等を張り渡した垣根をつくつたこと、奥三郎が昭和五九年四月二〇日死亡し、被告森らが相続により右物件の所有権を取得したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右垣根がつくられたのは昭和三九年頃であることが認められる。

四そこで、本件市道の範囲とその境界について検討し、右垣根が本件市道上に設置されたものか否かを調べてみる。

1  原告らは、本件市道と光雄所有の一一三三番の土地(以下「光雄所有地」という)との境界は別紙図面記載のからまでの各点を順次直線で結んだ線であり、被告森ら所有の一一三二番の土地(以下「被告森ら所有地」という)との境界は同図面記載のからまでの各点を順次直線で結んだ線であると主張し、右図面を作成した証人小島良和の証言によれば、同人は、右図面の作成にあたり、測量基準点として同図面中B173及びの地点をとつたが、点にはマンホールがあり、これに鋲が打込まれていたので、これを光雄所有地と本件市道との境界であると考え、また、、の各点には被告市が設置した境界杭が設置されていたので、これも基点として捉えたこと、更にからの各点は、小島証人が現地所在のU字溝の北縁を本件市道と光雄所有地との境界と考え、右U字溝北縁の各所曲り角に設けた測量点であり、からの各点にはコンクリート杭が設置されていたので、同人においてこれも境界と考え、以上のからの各点を順次直線で結んだ線を一方の境界線とし、これから2.73メートルの幅をとつて、からまでの各点を設け、これらを順次直線で結んだ線を他方の境界線として作図したことが認められる。

2  しかしながら、点所在の鋲、からまでの各点のコンクリート杭の打設された時期、目的が明らかでないのみならず、〈証拠〉によれば、本件市道の隣接地のうち光雄所有地及び被告森ら所有地を除くその余の土地(一一二九番二、一一三〇番一から三、一一三四番から一一三六番)と本件市道との境界については昭和五二年五月右各土地の所有者と被告市との間で境界確定の協議がととのい、別紙図面記載のとの各点には被告市によつて境界杭が設置され、市道の幅員も右両点間の2.81メートル以上と確定されたが、本件市道とこれをはさむ光雄所有地と被告森ら所有地との境界についてはついに協議がととのわず、境界確定に至らなかつたことが認められ、〈証拠〉によれば、光雄所有地は第二次大戦前の古くは桑畑として、戦後は麦や陸稲の畑として耕作されており、本件市道面より約一尺五寸(四五センチメートル)高く、本件市道に向つてなだらかに傾斜していたが、その境界は明確でなかつたこと、光雄所有地には本件市道に面してこれと並行に、桑の木が一定の間隔で植えられていたが、その後これらは伐採され、昭和三六年頃二、三回にわたり別紙図面記載のないしの各点を結ぶ線に沿つてその北側及び・・の各点を結ぶ線上に土止めのためコンクリートブロックによる三段ないし五段積の垣が築かれて内側は宅地化され、その南側に同図面のないしの各点にわたつてU字溝が設置されたこと、光雄は、その所有地と本件市道との境界は従前桑の木が植えられていた線から二尺程南側の線であり、現状ではU字溝の南縁を結ぶ線の更に若干南側であると主張し、一方被告森らは、光雄が従前徐々に同人所有地に接続する本件市道を侵蝕してこれをとりこみ、道路幅員を狭めてきたと考えていること、奥三郎は昭和三七年五月被告市に対して官民有地境界調査を申請し、その協議において、光雄に対し同人所有地と本件市道との境界を前記ブロック垣より約四尺(1.2メートル)光雄所有地へ後退した線とするよう求めたが、同人の承認するところでなく、右協議はととのわなかつた経緯があること等の事実が認められる。

3  右事実によれば、別紙図面記載のの地点に存在する鋲やからの各点に存在するコンクリート杭をもつてこれらが光雄所有地と本件市道との境界点であるとはにわかに認められず、従つて、からの各点を結んだ線をもつて境界線の一方であるとも、ひいてはその線から2.73メートルの幅をとつてからまでの各点を順次結んだ線をもつて他方の境界線であるとも直ちに認めることはできない。

4  ところで〈証拠〉によれば、大正年代から昭和二〇年代までの本件市道は農道で、七五郎は、かつての小作地であり戦後のいわゆる農地解放で売渡を受けた本件各土地を耕作する目的で、戦前戦後を通じて農機具や肥料、農作物の運搬等のため本件市道を通行していたこと、沿道の土地ももとは殆んどが畑であり、耕作者は本件市道を七五郎と同じように利用していたこと、右の時期本件市道のうち、人たちが事実上通行していたのは北側の部分でその幅員は入口附近(別紙図面のとの間附近)では九尺(2.7メートル)以上の広さがあり、奥の方(西方から南方)へ進むにつれて狭くなり、最初の曲り角(別紙図面のないし附近)では六尺(1.8メートル)位であり、更に進むと三尺(0.9メール)位のところもあつて農民は天秤棒をかついだり、リヤカーを引いて通行しており、南側の幅四尺(1.2メートル)位の部分には木や細竹が生育していたが、格別通行の妨げにはなつていなかつたこと、その後沿道の土地が徐々に宅地化されるにつれて道幅も拡大されてきていたこと、右部分の南側に接して一ないし二尺(0.3ないし0.6メートル)位の段下に幅約一尺(0.3メートル)の水路(但し、常時流水があつたわけではない)が並行して存在しており、この水路は別紙図面記載のからの地点附近まで続いていたこと、細竹は昭和四六年頃までに枯れてしまい、水路も現在は殆んど痕跡を止めていないことが認められ、水路はもともと存在しなかつたという証人森トラ、同森音次郎の証言は信用しない。そして証人森トラの証言によれば、奥三郎は細竹の生育する土地部分内に本件コンクリート柱を設置し、有刺鉄線等を張り渡して垣根をつくつたことが認められる。しかしながら〈証拠〉によれば、奥三郎所有地は水路以南に所在し、前記細竹の生育部分はその所有に属さず、本件市道敷に含まれるものであること、奥三郎は昭和三七年五月頃横浜市長に対し、図面を付して、右水路敷の払下申請をなすべくその境界調査の申請をしており、右事実を承知していたことが認められこれに反する〈証拠〉は信用せず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、現在右水路の所在ひいては本件市道の南側境界線は明らかではないが、少なくとも本件コンクリート柱は本件市道上に設置されているものと認めることができる。

五1  しかして、〈証拠〉によれば、奥三郎が前記垣根を設置したことにより、本件市道の通行可能な幅員は別紙図面記載の①ないしの各地点とないしの各地点との間では概ね二メートルないし2.2メートルに、殊に、ないしの各地点とないしの各地点との間では1.5メートルないし二メートルと狭くなり(〈証拠〉によれば、同人は光雄所有の一一三三番二の土地を賃借し、昭和三七年光雄の境界指示に基づいてとの各地点の間に土止めのためコンクリートブロック積の垣を築造したことが認められるが、四囲の状況に照らすと、右垣は若干本件市道上に張り出しており、このことと奥三郎の垣根の設置とが相俟つて右区間の道路幅が一層狭くなつていることが認められる)、本件市道の利用を著しく不便なものにし、殊に右の地点より奥への四輪自動車による通行を不可能ならしめるに至つたことが認められる。

2 ところで、地方公共団体の開設している市道に対しては市民各自は他の市民がその道路に対して有する利益ないし自由を侵害しない程度において、自己の生活上必須の行動を自由に行うことができる使用の自由権を有するものと解するのが相当であり、一市民がこの権利を妨害されたときは民法上不法行為の問題の生ずるのは当然であり、この妨害が継続するときは、その排除を求める権利を有するものというべきである(最高裁判所昭和三九年一月一六日判決、民集第一八巻第マ一巻マ第一号一頁参照)。

3 本件についてこれをみると、奥三郎及びその相続人たる被告森らは本件市道上に本件コンクリート柱を設置してこれに有刺鉄線等を張り渡して本件市道の幅員を狭め、原告らの通行、就中四輪自動車による通行を継続的に妨害しているのであり、現代の社会生活上各種四輪自動車の使用は必須のものといつてよいから、原告らはその妨害を排除するため被告森らに対して右垣根の収去を求めることができるものといわなければならない。

4  なお、検証の結果によれば、右垣根の南側、被告森ら所有地寄りに多数の樹木が生立していることが認められ、かりに、〈証拠〉に従い、これらが被告森らの所有に属するものとしても、本件市道の南側境界線の所在が不明であるため、これら樹木のいずれが本件市道内に生立しているかが特定できない。従つて本件樹木の収去を求める原告らの請求は認容できない。

六次に損害賠償請求について考える。

1  前掲垣根の設置、維持により七五郎及び同人を相続した原告らが本件市道の通行上多大の不便を蒙り、本件各土地の利用上の制約も受けてきたことは容易に推察されるところであり、〈証拠〉によれば、同人は単独もしくは附近住民と共に直接奥三郎に対して本件垣根の撤去を求める交渉をしたことは勿論、昭和四二年鎌倉簡易裁判所に対して奥三郎や光雄を相手方として調停を申立てて話合の機会をもち、或いは被告市の戸塚土木事務所や農地委員会等を訪ねて問題の解決のための然るべき措置をとるよう要請したほか、昭和五二年二月青木勝治弁護士に依頼し、同弁護士と共に横浜市道路局管理部道路調査課へ道路幅員の確保の要請に赴いたが、結局解決をみず、同弁護士に委任して本件訴訟を提起せざるをえなかつたことが認められる。

2 右認定の事実によれば、奥三郎を相続した被告森らは七五郎を相続した原告らに対し、七五郎が本訴提起までに重ねた心労に対する慰藉料として金一〇万円、本訴追行のための弁護士費用のうち、被告森らにその賠償を求めるのを相当とする金額として金一〇万円及びこれに対する本件訴状送達後の昭和五二年八月六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべきであるから、原告らの過去の損害の賠償請求は右の限度でこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。

3  なお、被告森らの前記垣根の維持によつて原告らが受ける将来の損害賠償(慰藉料)請求については、その額を判断するに当つて斟酌すべき一切の事情には多種多様のものを包含する関係上、賠償されるべき将来の損害は今後同被告らがとる措置の具体的内容や時期、原告らの生活事情の変動等流動的な諸種の要因によつて左右され、明確な具体的基準によつてその変動状況を把握することは困難であるから、このような将来の損害賠償請求権は、それが具体的に成立したとされる時点の事実関係に基づきその内容を判断すべきであつて、民事訴訟法第二二六条にいう将来の給付の訴えにおける請求権としての適格を有するものとすることはできないと解するのが相当である(最高裁判所昭和五六年一二月一六日大法廷判決民集第三五巻第一〇号一頁参照)。

従つて、原告らの被告森らに対する将来の損害の賠償請求は権利保護の要件を欠くものとして却下を免れない。

七被告市の責任について検討する。

1  請求原因事実6のうち、七五郎が被告市に対して昭和五二年三月三一日付内容証明郵便及び同年四月八日口頭の申入により、本件市道の通行妨害の除去及び幅員2.7メートルの確保の措置をとるよう行政権の発動を促したこと、これに対して被告市の道路局道路調査課長米倉文雄が、被告市としては道路に隣接する土地所有者との間に合意が成立しない以上、被告市が一方的に境界を定めることができないと申述べたことはいずれも被告市との間において争いがない。

2  他方、〈証拠〉によれば、被告市の土木局用地課は昭和三七年五月一七日奥三郎から被告森ら所有地に北接する水路の払下申請にともない、両地及び本件市道の境界調査の申請を受けたので、同年六月七日隣接地所有者の奥三郎、光雄及び中丸(一一三四番地所有者)の立会の下、陸路及び水路敷の境界について協議したが、協議がととのわなかつたこと、また、被告市の道路局管理部道路調査課は七五郎の要請による戸塚土木事務所長の申請に基づき、昭和五二年五月一一日本件市道と隣接各土地との境界を確定すべく、奥三郎、光雄、七五郎を含む右各土地所有者六名と現地において協議をしたところ、奥三郎及び光雄を除くその余の所有者との間では境界確定の協議がととのつたが、右両名との間ではついにととのわなかつたことが認められる。

3  ところで、国有財産法によれば、国有財産たる土地の境界が明らかでないためその管理に支障がある場合には、隣接地の所有者に対し境界を確定するための協議を求めることができる(同法第三一条の三第一項、第二項)が、その協議がととのわない場合には、境界を確定するためにいかなる行政上の処分も行われてはならないとされているのである(同条第四項)。本件についてみると、被告市が国有財産を管理する立場において、これまで境界確定の依頼があればその都度現地に臨み、隣接地所有者とその協議をしてきたことは前記のとおりであるが、右境界についての協議がととのわない以上、本件市道の境界が奈辺に存在するのか、従つてまた本件コンクリート柱や本件樹木が木件市道上に存在するのか否かは、被告市としては一方的にこれを決定できないのであるから、被告市の担当公務員が七五郎の前記要請に応じなかつたとしても、それをもつて直ちに当該公務員の職務怠慢ということはできない。

4  右によれば、原告らの被告市に対する損害賠償の請求は、将来の分をも含めてその余の点について判断するまでもなく理由がないこと明らかであるから、棄却を免れない。

八以上のとおりであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤安弘 澁川滿 太田武聖)

物件目録

(一) コンクリート製柱三七本

但し、右は別紙図面中の①からまでに表示された一辺の長さ約1.5ないし1.7メートルのコンクリート製四角柱三七本である。

(二) 樹木

但し、右は別紙図面中に表示された各目通り直径一〇センチメートルのイグヌス一本、モチ一本及び杉二本並びに前記(一)のコンクリート製柱と柱の間に植えられてある数百本の雑木(このうち目通り約五センチメートルのものは約三〇本)である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例